マンガ家★コワルスキー

没後15年たち そろそろ 書いておかねばならない…
平成15年(2003)に四十代半ばで がんで亡くなった
マンガ家コワルスキー氏の事
コワルスキーは カワサキ・プロ時代の彼のあだ名である
今回ペンネーム・本名は伏せさせてもらいます

カワサキ・プロの後輩であるコワルスキー氏は 家の都合で高校を中退…
鹿児島からカワサキプロにやって来た
「吉田拓郎」のファンであり ギター持参でやって来た
高校生の時 「長渕剛」と同じフォークソング部に在籍していた事があり
当時 長渕剛から「貧乏臭い」と言われたと言っていました

そしてその頃 長渕剛はすでにデビューしていて
「順子」が大ヒット 売れていました
自分も漫画家で有名になり 長渕剛に会いに行きたいと
当時彼は語っていた

画像
- ハワイ -
1977.01.10
右側がコワルスキー氏

彼がカワサキ・プロに来られ時
まだ十代の新人にしては かなりの画力で
そして ものすごい吸収力でさらに上達して…

数年後 私より先にカワサキ・プロを辞めて行き
そして さらに数年後には 月刊「少年ポピー」で
梶原一騎原作「タイガーマスク 二世」でデビュー
1980.8/22号 - 1981.6/27号まで連載され
テレビアニメにもなりました

その後 「タイガーマスク二世」は「増刊少年マガジン」に移行
1981.9/11号 - 1983.1/6号まで連載された
当然 単行本も出ています…(今 ネット上で中古で見かけます)

確かその「タイガーマスク 二世」を連載中に
突然に鹿児島在住の父親ががんで亡くなり
コワルスキー氏は 亡くなった鹿児島の親父の葬儀を
○○○で執り行い 東京に帰って来た

鹿児島には母親と兄貴と二人の妹がおり その後 
母親と下の妹を東京に呼び寄せ一緒に暮らし始めました


彼は カワサキプロに居た時期に
先輩アシスタントの折伏により  とある宗教団体に入信し
それはそれは熱心な△△会員(信者)になり
マンガを描く事を犠牲にしてまでも 活発な宗教活動をしていました

そうしたある日…
懸命に私を入信させようとしていた交流の折
「オレはがんになってみたい そして○○○でがんを治してみせる」と語った
そんなこと言っていいの? ○○○の過信しすぎだよ
彼の信仰心の深さに 恐れ戦いた
願わくは冗談であってほしいと…
そもそも毎日 朝晩○○○を唱えたら
がんにならないのがベストだろう

そして 「実は××教の教祖は病気を治せると言いながら
自身ががんで亡くなっている」
その宗教はインチキであると
そうした 彼が言った言葉を
△△会員の受け売りを…
私は決して忘れる事はできない


画像
1982.03.27

それから 十数年過ぎ去っただろうか…
私は彼の近所から引っ越しし
殆ど音信不通になっていました

確か平成13年(2001)の暮れ
ある日の夜 彼から一本の電話がありました
それは突然で…〃大腸がん〃になったことを告げる電話だった
本当に驚きでありましたが…
私には何となく予期していたような気がした

当時彼は 結婚されて二児の父親になっていました
家を新築したばかりで 2本の連載を抱え
さらに1本増やそうとしていた時期だと思います
それはそれは 大変な事に…

しかし彼は 私に言った言葉を憶えて居るんだろうか
憶えているから私に電話してきたのだろうか…
しばらく 聞けないでいました


お見舞いには2度ほど行きました…
一度目は一人娘を連れて
自宅近くの大学病院に入院していて
行ってみたら退院していて
自宅で療養していました

その時に彼から聞いた話は 凄まじいリアル感があった
がんの手術を受けた後に麻酔が切れ 痛みで目が覚めて
お腹の中を金属棒で引っ搔き回すような もの凄い痛みで
耐えられなくなり…窓から飛び降りようかと思ったら…
窓に鉄格子がはまっていた事


2度目のお見舞いに行った時は
カワサキ・プロ時代の仲間2名を連れて3人で
やっぱり退院していて 自宅近くの喫茶店で会いました

その時に聞いた話ですが
手術後 大腸が細くなり便が出なくなり
肛門を人工弁にする手術をしなくてはならなくなったが
しかし ○○○を唱えたら便が突然出るようになったという体験談を
△△会員の前で語ったと言った

そして たまたま彼の知人のもう一人のがん患者が
喫茶店に居合わせていて
すっかり良くなったと思ったら がんが再発していた話を…聞いて
彼は半笑いしながら落胆していた

画像
上京してきた親戚の方に描いてあげた
タイガーマスク二世の色紙と似顔絵
1983.08.16

それから半年ぐらいして
コワルスキー氏の所に一緒にお見舞いに行った
カワサキ・プロ時代の友 ベン氏が胃潰瘍で入院してしまい
(あだ名がベートーベンに似ている事から〃ベン〃)
そのお見舞いに 一緒に行かないかと誘われ
コワルスキー氏運転の車で行くことになりました

もちろん 運転免許証お持ちの奥さんを同伴していましたが
人のお見舞いに行っている場合じゃないだろう 自身の体の方が…
その時 彼は人工肛門になっていて
しきりに 臭わないかと気にしていました

そして 病院の面会時間に遅れないよう
行き急いでいて…
行き道を間違えたり 急停止したり
ちょっと危なかしく
彼の運転が 何か焦っているような…

私は彼に「生き急いでいるよ」と言ってしまった 


彼はその後 終末医療に専念して行ったようです
私には遠くから見守る事しかできず
不安な気持ちで…
そして 予期していた事ですが
平成15年(2003)7月に訃報が這入りました

コワルスキー氏夫妻は 同じ△△会員同志であり
葬儀を終えたしばらくした後で 奥様からお手紙をいただき
お山(富士山)に二人で登り
凄く感動した体験をしましたと書いてありました

画像
コワルスキー氏サイン入り単行本

何度かのお見舞いの折に
私は彼に「○○○でがんを治してみせる」と言った事を憶えているか
それとなく聞きました
彼はそんな時期もあったかな…と言葉を濁したが
彼の現行病状において…
私は詰め寄って 問い糾す気になりませんでした


彼は以前 ○○○に誤りがあったらり
◇◇会長が信じられなくなったら
直に △△会員をやめると言っていた

「○○○以上の真理が現れたら それに従いなさい」
それは ○○聖人の教えでもあるとも聞いていた

私が一番聞きたかった事は
「―――それでも ○○○を信じているのか」

しかし どうしても聞けませんでした
今さら問い糾しても 何の意味もない事


私は どんなことがあっても起きても…
彼は○○○をやめないだろうと思っていた


――― ○○○ ――― ○○○ ――― ○○○ ―――


私が彼のことを語ることは とても勇気のいることであり
――結果 何か起きやしないかと言う恐怖心がある
彼のこと語ることにより 彼が入信していた△△会員から
何か言われしないか…

しかしながら 私が生きている間に
真実を語っておかなければならないと言う思いから
今回 書かせてもらいました

実は 私の姉も熱心な△△会員でしたが 57歳で卵巣がんになり
手術しましたが手遅れ状態で
しかも手術が原因(失敗?)で3日後に亡くなりました
父親(70)と次男(72)の兄貴も
にわか△△会員でしたが普通に病気で亡くなりました

母親と長男と三男の兄貴は無宗教で △△会員を嫌っていました
私はそうした家族間の争いを見て育ち
また 姉とコワルスキー氏の勧めにより
△△会員活動に参加していた時期もあります

お陰様で 色んな宗教や新興宗教を調べる破目になり
自身の宗教観や考えを身につける事ができました

母親は3年前に96歳で大往生しましたが
76歳の長男と68歳の三男は健在です


信仰心の深さや熱心さと 人生状況や健康状態に
何ら因果関係はありません
これだけは真実です

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